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四十しざかり‥そんな言葉が今も尚、残る現在‥
そこには何かの裏付けがあったに違いない。
前回から出会いの瞬間、その時を書き綴ってきたが、
振り返ると今の方が性に対する貪欲な生き物へと変化してるのは間違いない。
そして、出会った当時より当然年齢を重ね容姿も変わっていった。
それが、いったいどの様に‥?
それを言葉で表現する事は難しいが、
年齢の積み重ねによる体系の変化‥
ただ、その一言で表現出来るものとは違う気がする。
匂い‥?
ある年齢に達した、ある女が発する独特の匂い。
膣は性器の意味を消し、アナルは遊ぶ穴を超え
口は新たな性器と化し、身体全体は見られる事によって作られてゆく。
ここに映る女は、確かに見られる事で己を見出す。
だからこそ、そんな姿をお見せ出来る隠れた覗き部屋‥
発する匂いの充満するそんな部屋が必要なのかもしれない。
『見世物小屋』
子供の頃に聞いた、そんな言葉に今も魅了されている。
単純に若ければ、そこには一時の思いつきや
個人の欲望、自我、自尊心との葛藤などが纏い
やがて年月が過ぎれば過去の産物になる事もあるだろう。
でも、それがこの年齢になると方向性が定まる。
それは、もう一つの現実に縛られてしまうから‥。
その現実があるからこそ、それを解放し壊す場所が必要となる。
それは皆、同じなのかもしれない。
皆、今にも千切れそうな綱渡りの理性を保って生きている。
通りから外れた裏通りの看板もない、ある店の一室で‥
醜態を晒し見られる事に欲する女が裸になり一人踊っている。
見られる事で作られてゆく、その姿。
隠された淫靡な世界へと続く扉‥
その扉は、それぞれの理性があってこそ不満を持ちそれを見つめ開かれる。
自由は手足縛られた鎖の連鎖の中で‥。
拍手から言葉を頂くフ○○様‥
毎回、優しさに満ちた温かな言葉をありがとうございます。
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