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女と知り合った同じ頃に手にした1台のバイクがある、もう8年近くの付き合いになるだろうか‥。
特に高価で価値のあるバイクじゃないけど俺にとっては代え難いかけがえのない道具の一つ。
勝手な思い入れのある物になってる。
ある男との別れ、そして知り合う女と同じ頃に手にしたバイク。
簡単には廃車、手放す事はしたくない。
8年の時を過ぎ間も無く走行距離は10万kmになろうとしてる。
バイクにしては、ずいぶんと酷使し過ぎで距離を走っただろうか。
その間、幾度となくオイル漏れに見舞われ、修理しては直してを繰り返し、
あるパーツは劣化と共に壊れては取り替え、それでも今も健気に走ってくれてる。
他人から見たら意味をなさない古物にしか思えないだろう‥。
もう修理代に新車ぐらいラクに買える金はとうに過ぎている。
〜愛着〜
思い入れなど他人から見たら、
まったくの意味の持たない
勝手な拘り、自己満足。
そんなもの達の想い
究極なのかもしれない。
経年劣化と経年変化。
それをどう捉えどう感じるかは、
それを手にして使う者の思いしだい。
そこに至るまでの過程の年月の積み重ねが
今の思いに繋がる。
ここに写る女の姿は30代後半の頃の姿‥
今から6,7年前の姿の女になる。
丁度今と同じ頃の夏の時期だろうか‥
仕事帰りの女の私服姿だろう。
今、気が付けば時間は誰にも平等に過ぎ去っていた。
俺自身も40歳を越えまさに今、中年の真っ只中。
それは若かりし頃から振り返り比べれば経年劣化だろう。
それに真っ向から逆らうつもりなどない、
逆らうでもなく、受け入れるでもなく、
ただ上手く流されていきたいと思う。
出来れば‥
経年変化と思われる様にと‥。
そんな歳のとり方が出来れば良いさと‥。
それなりに、カッコ良い50代へ。
女も30代から40代、そして50代へと‥
後を追い掛けるかの様に俺も50代へと向かう。
歳を重ねるにつれ、
つまらない拘りなど薄れてゆくものだと思っていた‥
それが年々どうでも良い物に妙な拘りが増え始めてくる。
〜paranoia〜
思い込みの価値観に己自身が支配されてゆく様だ。
この先、それがいったい何処へ向かうのか何もわからない。
女に対する性欲、性癖‥
それさえもその都度、姿、形を変え表されてゆく。
ただ、人間の根源にあるモノは何年経とうが変わりはしない。
元来、そんなモノが俺の中にはあったに違いない。
そう、年齢が増すたび、それらが生まれたわけじゃない。
拘りが今の俺の今の姿を作り上げてるだけ‥。
俺の身の周りにある物‥
ほとんど全てが、
一定の拘りで埋め尽くされてる事に気づかされる。
何年も同じ物を使って‥
何十年も同じ物を身に付けている。
そんな身勝手な拘りの愛着と執着で、
共に何十年と過ごした物達で溢れてる。
女に対する執着、拘りも‥
そんな物達と何ら変わらない。
趣味と拘りで集めて道具の一つ。
使い続けて価値ある物達‥。
だから‥
使い古されてからが本当の姿が現れる。
何年も何十年も同じ物を使い続けて‥
経年劣化じゃなく経年変化‥
そんな月日を共に過ごす拘りが今日もある。
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